ハーフタイムに放心状態で戻ってきた選手に「バカかお前ら目を覚ませ」と
一喝したら、主審に呼びつけられ、そう言った高圧的な言論は謹むようにとたしなめられた。大会規約にそうあるらしい。

なんとも世も末、軽薄な世の中、平和ボケニッポン。これも事務方ばかりの組織でしかない少年部の現状か。

12歳で、チーム(組織)の中で各々が効率の良さを求めた上での判断力を求める。
サッカーの先進国はそんな概念の中で歩んでいる。
幼稚化が進む日本でそれを求めだしていくのはせいぜい16歳ぐらいからだろうが高校の先生の指導では大半はむりだ。

今日はシズギンカップトーナメントの一回戦、1-1の末PK戦で敗れた。
悔やまれるのは緊張のせいか、ただ単に舞い上がっていたのか、選手が意図的なプレイを何もせず前半を折り返してしまった事にある。

そもそも戦い方に何のこだわりも無くただボールを前に蹴るチームであるならば緊張するもしないもさほど変わりは無いのだが。

中盤ではしっかりとボールを保持し、アタッカーに良いボールを配給するといった意図的な作為をしようとする意識や余裕もどこかに飛んでしまった。そもそも過去に上手く行ったゲームもたまたまだったのか。
ふにゃふにゃな意識の中でゲームをしている事があらためて確認ができた。ハーフタイム渇を入れられ、後半早々発奮からかゴールを奪えたが、最後まで普段求めているゲームは出来ずに終わってしまった。相手のせいではなく明らかに未熟さ幼稚さを露呈した。いったい何を求めていたのか判らず仕舞いで終えた。

今日のダメだった自分を忘れない事、振り返り考え正す事が次のステップにつながる。
良い経験だった。
①目標にしていた試合に負けると「うちのチームは試合の勝敗を気にすることなく、全員のレベルアップを目指している。」と言ってしまう。

②「あそこのチームは試合には勝つが、やたら蹴るばかりで個々の基本がなっていない。」

③「このチームは勝利至上主義なのか?下手な子も上手くなれるのか?」

以上は、一般的な指導者やご父兄のよくある質問や見解です。
これらの発言の根源にはあるサッカーに関する共通のテーゼが横たわっていると思われます。

それは「...「勝つこと」は即ち「上手いこと」なのか?...」です。
 
 
結論から言ってしまえば、育成期における個人のレベルアップ、上手くなること(育成)とチームの勝利(大会優勝など)は、同じ土俵で横並びに語られるシロモノではありません。
全国大会で優勝した11人がそのまま日本最高レベルの11人ではない事は簡単にご理解頂けると思います。

しかしながら、サッカー指導者を標ぼうする者ですら、ほんとんどが「勝ったから うちのチームの選手の方が上手い」と、勝利イコール「上手いこと」、この間違った教義の信者になってしまっています。

①目標にしていた試合に負けると「うちのチームは試合の勝敗を気にすることなく、全員のレベルアップを目指している。」と言ってしまう。  ②「あそこのチームは試合には勝つが、やたら蹴るばかりで個々の基本がなっていない。」  ③「このチームは勝利至上主義なのか?下手な子も上手くなれるのか?」  以上は、一般的な指導者やご父兄のよくある質問や見解です。 これらの発言の根源にはあるサッカーに関する共通のテーゼが横たわっていると思われます。それは「...「勝つこと」は即ち「上手いこと」なのか?...」です。     結
では、両者の関係はどう考えるべきでしょうか? 私は、選手自身のサッカーのレベルアップを「目的」とするならば、チームの勝利は1つの「指標」であり、「目標」と考えています。両者の関係を表現するならば、目的(育成)という円の内側に、目標(勝利)という円が入り込んだ「2つの同心円」という感じでしょうか。
また育成という円の外側にはさらに大きな目的である「社会に役立つヒトづくり」が位置するでしょう。
 
育成期での勝つことによる達成感は自信に繋がりますが、振り返ると間違った自信に繋がってしまったケースが少なくないのも確かです。育成期に大切なことは、試合にどうやって勝ったのか、どうして負けたのか、勝敗とういう結果それ自体ではなくその内容です。
選手のその後の上達は、試合に勝っても負けても、試合内容と指導者の導き方次第でプラスにもマイナスにも振れてしまいます。
逆に、だからこそ、サッカーの内容を吟味できない指導者は「勝つか?負けるか?」しか「試合の味」を判断できないため、すべてがこの点でのみサッカーや選手を評価することになります。一般的なサッカー指導者のほとんどが正しい内容の吟味ができないのですから、ご父兄には尚更そこが解りづらい処でしょう。

そこで、良い指導者の見分け方、良いチームの見分け方の簡単な指針を少しだけ下記に並べてみます。参考にされて見て下さい。

良い指導者、良いチームは、

①指導者のサッカーの見解に基準がある。
②指導者の見解にいつも一貫性がある。
③戦い方にチームカラーがある。
④選手のプレーが偶然の連続ではなく必然的なゲーム運びがある。


以上、一言で言い表せば「チームに哲学があるかないか」ということです。また、経験豊富な指導者からは知って得する知識よりも、知らなかった為に損をしてきた知識を得る事ができる、この点も付け加えたいポイントです。 
Look around think before 「見て判断する」
 
サッカーのゲームをするにはあくまでもこの事をベースにし技術練習に携わる。日本の大半の指導者はこれができない。
教科書の最初に出てくる用語であるがさしずめ「論語読みの論語知らず」と言った処か。

 現場では「見て判断する」が付録のように扱われ、まずは技術だ、体力だ、ドリブルだ、 いやパスだとか、「今は個を伸ばす時期だから」などと根拠も実績もないのにわかり切ったかの様にのたまい、判断をするを切り離し、漠然とした積み重ねの末に未来があるか の様な練習をする指導者が多い。

ゲームを見れば分かる。

Look around think before 「見て判断する」 Look around think beforeは、例えるならば一度に何枚もの皿を回す皿回しの曲芸の1枚目の皿であり、サッカーのゲームにおいてはいつ何時においても落としてはいけない皿である。
全てのプレイに切り離して考える代物ではない。

 そもそもリーダーに、表現したいサッカーの絵がないとクリアーなトップダウンはできない。政治でもビジネスでも裁判でも、まずは方針を決め、その方針に向かって手順が決まる。

オセロゲームに例えると良くわかる、勝者は漠然とした目先の攻防の繰り返しよりも四隅を如何に取るかの方針に向かって考えを廻らす。

 君は今どうしようとしたの?としか聞きようがないのだが・・・
三角形の面積を求めるとき、当たり前の様に(底辺×高さ÷2)公式を使う。

この公式は、自分自身が考え抜いて発見したのではなく、誰かに習った。

日本では研究者として考え抜く前に小学校で習ってしまう。知っていたか知らなかったかの事だけだがその違いは大きい。この公式は当たり前の様に次のステップの礎の一つとなるからだ。

 

サッカーの監督は選手にサッカーでの公式を伝えるのが仕事だ。

育成の指導者となれば礎となる公式を教え込むのが仕事だ。

 

サッカーの指導者の役目
日本はまだまだサッカーの専門性を伝える力がある指導者が圧倒的に少ない。

サッカーも本に書いてある事柄をコピーし配布したところで伝えられない。

プロもどきも少なくははいが育成指導者の大半がボランティアであるが故でもある。

たくましさを育む教えや協調性などの社会性を伝える語録は持ち合わせていても、

突っ込んだサッカーは語れず、選手に①自分で考えろとか、②選手の自主性を尊重しているとか言って修行僧の様に子供たちをじっと眺めているのがおちだ。

   それなりの雰囲気や元気はあっても、よくいるダメな指導者は教える事と選手の判断にまかせる事柄に一貫した秩序を保てない。また教える知識も少ない。また知識はあってもスキルが足りないのも困る。

 

その指導者をどう見るか?それに尽きるが、スポーツのよいところは結果に出る事だ。勝敗だけではない。指導者の技量はゲームに出る。いったい選手たちにサッカーの何をさせたいのか?コートにどんな絵を描きたいのか?例え未完成であってもどこに向かっているのか?全てが表現される。言い訳は効かない。

やっているのは選手だが、やらせているのは監督だからだ。これほど理屈が解りやすいスポーツはない。

よい選手になりたければよい指導者に付くこと、よい指導者になりたければよい指導者に巡り合うこと。

今J1よりJ2がおもしろい。京都の大木監督、湘南の曺監督、北九州の三浦監督がいい。



<磯部 成範磯部 成範 / Shigenori Isobe

Profile

選手歴
清水東-東京農業大学-静岡ガス
指導歴
静岡学園高校コーチ 1995全国高校選手権優勝
エスパルス強化担当 ロプタ静岡監督